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短編小説『いずれ死ぬのは仕方がないが別れは辛い』

 私は三十代前半、妻と二人の娘がいる。私はA大学の教授Bの研究室で準教授をやる。専門は分子生物学。A大学で有名なのは教授Cの研究室であり、企業や行政機関の下部組織と連携して積極的に遺伝子操作を行い、教授Cはノーベル医学生理学賞候補だった。教授Cは三十代後半。バツイチ。子供はいない。それに対して、私は彼より若いが、将来性は薄く、ずっと準教授でいそうだった。私と妻とは、私がA大学院生、妻がA大学生の頃に知り合い、妻が卒業後に結婚し、三年で二人の女児をもうけた。
 私には1歳年下の恋人Dがいて、それが今は都心のクラブDのママになっている。私はときにDのマンションに行ったり、クラブDに行ったりする。クラブでの私の飲み代はタダだが、他所の店に食事に行ったときぐらいは私が払う。クラブDに行政機関の科学技術部門の長官である政治家Eとバイオ産業Fの会長Gがよく一緒に来ており、政治家Eは教授Cの父親だった。それらのことをママDは、私が聞くまでもなく、話した。他の客のことをママが話すことはいけないことかもしれないが、私はママの彼であり客ではないからよいとも言える。ママDは客に他の客の話をするような人間ではなかった。
 ある夜、クラブDに行ってみると、元女優Hがカウンターに座ってママDと話していた。私はHの横に座った。近くで見るとさすがに美しい。スタイルもいい。ママDも元女優Hも軽々と語る。Hは二十代後半。Hの父親はバイオ産業Fの会長G。Hは数年前に少し年上のタレントと結婚、数か月で離婚。今は父親Gの元に身を寄せる。退屈という。私の自宅と彼女が身を寄せる父親Gの自宅は徒歩数分の距離にあることが分かった。近くの何の変哲もない居酒屋やスナックの話になり、私と元女優Hはいつしか居酒屋Iで夜に待ち合わせることになった。
 居酒屋Iで元女優Hと待ち合わせて会う。他に客はいなかった。この辺りは寂れている。元女優にしてみれば、何の変哲もない焼き鳥や串かつが旨いらしい。それからスナックJへ。ここも他に客はいなかった。元女優にしてみれば、何の変哲もないカラオケが楽しいらしい。それからすんなりホテルKへ。私がホテルに行こうと言うと、Hは「なんとナチュラルな」と言う。元女優にしてみれば何の変哲もないラブホテルが珍しいらしい。元女優のラブホテルデビューだ。Hは酔っ払ってはしゃいだ。結局、G宅の前までHを送って行って、私が自宅に帰ったのは午前2時過ぎだった。妻子はとっくに眠っていた。
 その後、私と元女優Hはほとんど毎晩、ジョギング姿で出かけてホテルKやスナックJで密会するようになった。淵が分厚く黒いメガネを掛けているとHが元女優と分かることはなかった。スナックJのママにはそのまま言った。Jのママは他言するような人ではなかった。私の妻は、長いジョギングねえと笑っていた。妻は、ジョギングとは思っていなかったが、不倫とは思わず、居酒屋やスナックに行っているだけと思っていた。
 さて、A大学には生命倫理委員会があり、遺伝子操作を含む研究について特に厳しくチェックすることになっていた。A大学の文系も理系も含むすべての学部の教授と准教授が委員で、私のような准教授には議決権はなかったが、意見を述べることはできた。当然、教授らには議決権もあった。そこで、教授Cの進めようとする研究が取り上げられた。その研究を要約すると、

従来の遺伝子は5種類の塩基とそれらを繋ぐヌクレオチドという鎖からなっていた。だが、そのヌクレオチドでは遺伝子が複製または転写されるとき、塩基配列が変わりやすい。そのヌクレオチドを人工的な鎖に変えれば、複製または転写において塩基配列が変わりにくい遺伝子を作ることができる。

その研究の協力団体として、バイオ産業Fと行政機関の科学技術部門の下部組織の名前が挙がっていたが、その部門の長官が政治家Eだった。そして、その政治家Eは教授Cの父親である。また、バイオ産業Fの会長Gと政治家EがクラブDで会っていた。だが、それらはこの委員会の中では問題にならない。研究そのものの倫理性が問題である。私にも発言権があるから言おうかと思っていたとき、既に教授Bが発言していた。その発言を要約すると、

従来の塩基とヌクレオチドの中で塩基配列が変化することが突然変異である。そのような塩基またはヌクレオチドを人工的に変えた遺伝子まがいのものは、突然変異を被らず、無際限に増殖して人間を含む生物を駆逐する恐れがある。そのことは"OUR-EXISTENCE.NET"で既に記載されている。教授Bの研究には反対である。

私が言おうとしたことを教授Bが言ってくれた。結局、教授Cの研究に賛成するものと反対するものがほぼ同数という気配で、夏休みをはさんで三ヶ月後に決議するという意見が出てそれが通った。つまり、教授Cはその研究を三カ月間は始められないことになった。
 数日後、ママDからメールがあった。政治家Eとバイオ産業Fの会長Gが私に会いたがっていると。ママDにしてみれば、私のためになると思ってのことだろう。数日後、設定された時間に行ってみた。女の子をはさんでの会話だが、要件は、

二ヶ月半後には私をA大学の新しい研究室の教授にする。
教授C、つまり、政治家Eの息子が進める研究に反対しないで欲しい。

おまけに教授Cの進める研究はガン治療への有力な段階であるとまで言う。馬鹿な。人工的にヌクレオチドを変えることとガン治療には直接の関係がない。ガン治療するなら、ガンを発現する遺伝子の機能を停止するか塩基配列をガンを発現しない遺伝子に変えるだけでよい。例えば、ガン遺伝子のど真ん中に他の短い遺伝子を組み込めばよい。それは既に教授Cがやったことである。それによって教授Cはノーベル医学生理学賞の候補に成っている。塩基そのものやヌクレオチドという鎖そのものを変える必要はない。待てよ。相手は政治家と財界人だ。目的は他にある。私は彼らの話を聞きながら他の目的が何かを考えた。
 私はトイレに行って、教授Bに電話してみた。出ない。私は教授Bの自宅に電話した。妻が出てきた。教授Bは今日の午後4時12分に、交通事故で亡くなったと言う。司法解剖を終え、今、帰って来たと泣きながら言う。通夜は明日、告別式は明後日と言う。私は明日、参りますと伝えて電話を切った。
 テーブルに戻ってみると、会長Gは店を出て、政治家Eはカウンターに移動し、別の男性と話していた。ママDは、私が聞くまでもなく、軍と繋がりの深い研究所Lの所長Mよ、と言った。私は了解した。教授Cが研究し開発しようとしているのは生物学的兵器だ。確かに、突然変異を被らない遺伝子なら、無際限に増殖し、人間を含む生物を駆逐しうる。これは核兵器とともにOUR-EXISTENCE.NETが定義する「全体破壊手段」である。簡単に言って、突然変異を被らない遺伝子は本当の意味での化け物である。そんなものを教授Cは開発しようとしている。しかも、バックには政治家E、会長G、所長Mがいる。
 既に教授Bは亡くなっている。いや、交通事故を装い殺されたのだ。直接手を下したのは軍の情報部か特殊部隊か何かだろう。もちろん、彼らの指示の下になされた。逆らえば私も同じ目に逢うだろう。私は政治家Eによろしくお願いしますと伝えてとママDに言って、店を出ようとした。ママDはそれを政治家Eに伝えに行った。すると、政治家Eと所長Mが私の所にやってきた。私はMとも名刺交換した。そういえば、どこかの遺伝子学会でお会いしたことがあるような気がする。Mは私の名刺を見ながら「二か月後には教授だね」と言った。
 翌朝、教授Cのほうから私の研究室を訪ねてきた。教授Cは父Eから私のことを既に聞いていた。だが、教授Bの死亡の話は知らないようだった。私も知らない振りをした。教授Cは父Eとは似ても似つかぬ単純な男で、裏は知らないようだった。ただ、例の研究を進めたいだけのようだった。そこに、事務長が来て、教授Bの死亡の話と通夜、告別式の予定を告げた。教授Cは本当に驚いていた。私は驚く振りをした。
 私は教授Bの研究成果をまとめることになった。教授Cの研究に反対する趣旨の書き物が出てきた。私はそれを大切に保存して、他人が読めないようにした。あなたの遺志は私が必ず果たす。私は通夜で誓った。
 私が教授Bの研究室を引き継ぐ形で教授になる案が出されたが、私は辞退した。ここは一旦、私と教授BやOUR-EXISTENCE.NETとの関係を絶って、政治家Eたちに恭順を示し、新しい研究室を作ってもらったほうがよい。
 私は依然として元女優Hと会っていた。Hは言う。父、つまり、バイオ産業Fの会長Gが政治家Eの息子、つまり、教授Cとの再婚を勧めている。数日後のパーティーで会うよう設定されている。だけど、結婚などしたくない。結婚するならあなた、つまり、私としたい。仮にCと結婚しても、あなた、つまり、私とずっと会いたい。私はEとの結婚を勧めた。Hの顔色が変わった。私はドキッとした。私は慌てて、私もずっと会いたい。それは本当だ。それと、私たちのことを他には絶対、漏らさないこと。私とHが会うのはホテルの部屋だけにすること。別々に部屋に入り部屋から出ること。私はそれらを伝え、Hは頷いた。
 私は教授Cとよく話をするようになった。本当にこの男は裏で何が進んでいるのか知らない。ただ、研究を進めたいだけだ。ただ、ノーベル賞が欲しいだけだ。おまけに教授Cは元女優Hと見合いをしたことまで私に話した。しかも、教授Cがその話をしているのは私だけでなく、研究室の助手などにも話しているようだった。教授Cは寂しくて誰かに話を聞いて欲しかったのだ。私は教授Cにマスコミには分からないようにしたほうがいいのではと進言した。マスコミに分かるなら裏で進んでいることも一緒にして派手にやったほうがよいと私が思ったからだ。ただの色恋や結婚で終わらしてはならない。
 私は元女優Hには結婚するまでは性交渉をしないよう勧めた。既にHも性交渉を結婚の餌にすることを決めているようだった。さらに、私は婚約の記者会見でも開くことを勧めた。
 そのとおりになって、教授Cと政治家Eと父Gの許可の下に元女優Hは単独で記者会見した。元女優とノーベル賞候補との婚約とあって、少しは世間は騒いだ。元女優Hはタレントとして芸能界に復帰し、私と会う回数は少し減った。
 私と政治家Eと会長Gとの会合から三週間後、ママDのマンションに居ると、ママDが一か月後に政治家Eと所長Mと某大国の軍研究所長Nが店に来ると言った。なるほど、国際的な軍産学複合体だ。私はママDに言った。ボイスレコーダーを仕掛けろ。誰にも言うな。私は自分が講義のときに使うボイスレコーダーを渡し使い方を教えた。電池も入れ替えた。ママDは仮にばれても、あなた、つまり、私に指示されたことは言わないと言った。それが自分の生きる道と冗談半分に言う。私は無理しなくていいと言った。拷問されれば誰でも言うだろう。ママも笑いながら、拷問される前に言う、と言う。そのときは正面から戦うしかない。ママは聞いた。あなたはどこかの国のスパイなの。それでもいいけど。私はママDに裏のすべてを話した。政治家E、会長G、所長Mたちの狙いは「全体破壊手段」を某大国に売却することにある。教授Cはそれに利用されているに過ぎない。
 私はもう一つ賭けに出ようと思った。当然のことながら元女優Hに協力願うことである。父Gのパソコンか携帯のメールをコピーしろ。Hは簡単なことと言う。父のパソコンや携帯のパスワードは自分の名前と誕生日だからと言う。
 だが、それらを暴いたとして、暴くことに加担した者がママDと元女優Hであることは明らかだ。すると、ママD、元女優H、私、妻子の何人かが、教授Bと同様になる。私は二人に電話して急遽、それらの計画を中止した。私は自ら教授Cの研究データを抹消することを考えた。
 元女優Hは教授Cやその父Gから早く入籍するよう迫られていた。電撃結婚式もやろうと言われていると言う。私はそれを勧め、結局、数日後に入籍と結婚式と会長G宅での同居が成立した。
 その結婚式にして同居の初日の夜、元女優Hはいつものようにジョギング姿で家を出た。私とHはいつものようにホテルKで会った。少し窓を開けて外を見てみると、マスコミ関係者らしい男女が数人、外にいた。近くのマンションのベランダからはカメラマンがホテルの入り口にカメラを向けていた。近所の住人がマスコミに漏らしたのか。私はそのことをHに言わなかったし、Hは何も知らなかった。Hは言う。今夜は帰りたくない。絶対に帰らない。あなた、つまり、私と一緒に居たい。私も本当にそうだ。
 私はホテルのフロントに電話した。外が騒々しいが、何かあったのか。フロントの女性は数千円出せば、地下の駐車場から車を出すよう手配すると言う。私は考えると答えて電話を切った。しばらくして、ホテルの部屋のドアをノックする者がいた。私たちは黙り込んだ。マスコミだけでなく、軍の情報機関か何かまでが動き出したのか。もちろん、政治家Eや軍の研究所長Mの指示で。これで私たちも終わりか。そう思い、私はHに裏のすべてを話した。Hはあなた、つまり、私となら死んでもいいと言う。私はそういうわけにはいかない。生きなければならない。いやいや、私だけでなく、君、つまり、Hも、ママDも生きなければならない。ママDについては言わなかったが、私たちは生きなければならない証人なのだ。
 結局、フロントから電話があり、今のノックはフロントの女性で、非常階段から隣のホテルOに抜けられるから、手配しようかとの申し出があった。私たちは感謝して、その通りにした。結局、二人は錆びた揺れる非常階段を音を立てないように登り降りして、隣のホテルOに移った。フロントの女性が先導してくれた。従業員はよく昇り降りすると言う。下からフロントの女性の下着が見えたが、それどころではない。私は妻に徹夜の残業と連絡した。妻は何も疑っていなかった。実際に徹夜の残業はよくあることだから。Hは誰にも連絡しない。Hは数日、そのホテルOに滞在することになった。私は朝に従業員用の出入り口から出て家に寄っていつものようにシャワーを浴び朝食をとって大学Aへ出勤した。教授Cは出勤していなかった。
 元女優Hの失踪の話はさっそく昼のワイドショーで取り上げられた。教授Cは捜索願いを警察に出したらしい。教授Cだけでなく政治家Eや会長Gにもマスコミが群がった。元女優HがホテルOに居れる時間にも限りがある。私は元女優Hに電話連絡して、ママDのマンションに移動するよう伝えた。DとHは友達か姉妹のような関係で、Dは快諾した。その日の午後3時半にDが車でHをマンションまで連れて行った。
 その後、警察が教授Cの研究室の捜索にやって来た。妻HについてCが出した捜索願いがこういう形に発展したのか。捜査令状はないが、警察は教授Cからの依頼のような言い方をする。教授Cからは大学に何の連絡もない。事務長が連絡しても教授Cは出ない。私は学長や事務長に学問の自由を守るべく捜査に応じないように進言した。実際、各研究室が共有する実験室に素人に入られては、他の研究室の研究も駄目になる恐れがある。結局、警察は細かなものに手をつけず帰ったが、元女優Hが居ないことは確かめたようだった。さすがは警察だ。軍と分立した警察があるからこういうことができる。権力分立制の重要性を痛感した。警察の誰かが指紋を残さないための手袋を忘れて行った。わたしは、それを着用して、教授Cのパソコンのハードディスク、外部記憶装置などを手当たり次第に抜き取り処分した。つまり、研究データを警察が押収したように見せかけた。後は他にデータが残っていないことを祈るばかりである。
 数十分後に教授Cが大学に到着し、研究室に入って狼狽していた。教授Cは、データ消失があったこと、研究が水泡に帰したこと、警察を訴えること、を私に相談した。私は教授Cに、父上は政治家でしょう、父上に相談するのが先ではないですか、と進言した。教授Cは私の目の前で父Eに電話した。Eは、何もするな、例の研究を中止しろ、元女優のことは忘れろ、と数メートル先まで聞こえるほどの大声でCに怒鳴った。教授Cは放心した。Cにとっては元女優Hとの結婚生活が半日にして終わるとともに研究成果のほとんどを失ったのだ。だが、そんなことより、Cの研究、つまり、OUR-EXISTENCE.NETが定義する「全体破壊手段」を世に出さず葬り去る必要があった。
 私はできるだけ急いで密やかにママDのマンションに行った。ママDはクラブに出勤していた。元女優Hは健在だった。Hに夫Cのことを伝えた。これから、Hがどう身を振るのか。いつまでも隠れている訳にはいくまい。でも大丈夫、今が一番、自由、とHは言う。ママDから電話があって、政治家Eと某大国の軍事研究所長Nとの会合が中止になったとのことだった。例の件はこれで終わった。暑かった一日が終わる。マンションの窓から夕方の東の空が見えた。
 結局、教授Cは、例の研究を取り下げ、元のガン治療の研究に専念するようになった。政治家Eと所長Mは引退した。私は教授Bの研究室を引き継ぐ形で教授になった。そして、元女優Hは、私と完全に別れ、教授Cの下に戻り芸能界を引退して専業主婦になった。ガン研究一途の教授Cに惚れたのだと思う。ノーベル医学生理学賞候補ということもあったかもしれない。私に妻子がいることもあったかもしれない。今、考えると、あのときに顔色が変わったのが恋の分岐点だったのだと思う。そう言えば、前にもそんな経験がある。ママDは相変わらずママを続け、わたしとときに会う。私は家に早く帰ることが多くなった。元女優Hとの別れを家で癒しているのではない。私は亡くなった教授Bの四十九日に出席した。その日は夕立があったが、帰る頃にはやんでいた。雨上りの透き通る空の下を私は一人で歩いた。人間を含む生物はいずれ死ぬ。死ぬことは仕方がないとしても、語り合う友を失ったことは寂しい。あんなに語り合えたのは教授Bだけだった。ときには朝まで酒を飲んで語ることもあった。仮に私が死んだとしても妻子やママDと別れなければならない。返す返すも、いずれ死ぬのは仕方がないが別れは辛い。

[参考文献]
わたしたちの生存ネット日本語訳
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